ヴァイのバイオ・ストーリー(2021.11)
「ピルトーヴァーの用心棒」
ヴァイには、ゾウンで過ごした幼少期の記憶があまりない。しかも憶えていることですら、すべて忘れてしまいたいことばかりだ。最下層のゴロツキ達と行動を共にする中で、彼女は生きるための知恵と拳の使い方をたちまち身につけた。ヴァイに出会ったことのある者は誰しも、彼女のことを面倒があれば言葉──あるいは拳──で片づける女として認識していた。とはいえ、大抵の場合彼女が選ぶのは後者だった。
ヴァイを若いころから知る者であっても彼女の両親について知る者はおらず、大方工場での作業中に事故に遭って逝っちまったんだろうと、皆一様に思っていた。悲しいことに、ゾウンではそうしたことが日常茶飯事なのだ。ヴァイは「希望の家」という今にも崩れそうな孤児院に引き取られたのだが、頭がイカれていたことで有名だったドブ浚いの男の証言によると、打ち棄てられた化学研究所の跡地で、二人用の大きさのベビーベッドに一人置き去りにされたヴァイを見つけたそうだ。だが結局のところ、ヴァイも知らないほうがいいこともあるものだと事実を知ることを諦めていた。
鮮やかなピンク色の髪のせいで、彼女はゾウンのストリートでとても目立っていた──町はずれの市場で怒り狂う店主から逃げていようが、ブラックレーンズの色とりどりのバザーをブラついていようが、あるいはヘクステック式コンベアでピルトーヴァーまでタダ乗りしていようが、その姿は遠目でもはっきりと見分けがついた。揉め事や詐欺があると大抵の場合はヴァイはその渦中にいたが、持たざる者からは決して盗まず…そして必要の無い者には決して手を上げなかった。
ヴァイの子供のような悪ふざけは、彼女が成長するにつれてますます大胆不敵なものとなり、ついには自らのギャングを率いるまでになった。向こう見ずで激しやすい彼女は、相変わらず拳で物事を片付けることを好み、しょっちゅう目の周りに青黒いアザを作り、唇を腫らしていた。
ヴァイはレーンズのはずれにある、とあるバーのオーナーに師事するようになった。彼は彼女の自己破壊的な性分を抑え、自身の道徳律を鍛え上げ、自制心を持って戦いに臨むよう教えた。爆発しそうな怒りを上手くコントロールする術を教えたのも彼だった。
やがて、ヴァイは、余計なことは一切聞かず、ただ依頼を確実に遂行する人物として知られるようになった。
あるときバーの常連客であるゾウナイト鉱夫たちのおしゃべりに耳を傾けていた彼女は、大きな取引が行われる日取りと、その日どのように報酬が支払われるか詳細を聞きつけた。ケミ長者にとってははした金──しかしヴァイたちにとっては大金だった。ヴァイは強盗を計画したが、その遂行には少々人手が必要だったため、渋々ながらライバルギャングのファクトリーウッド・フィーンズに話を持ち掛けた。
計画は順調に進んだ──少なくとも、フィーンズのボスが巨大な削岩パワーグラブで鉱山の所有者を殺し、残りの作業員を坑道に閉じ込めるまでは。どちらのギャングメンバーもそれぞれ盗品を手に逃げ去ったが、ヴァイには罪なき人々を見捨てることができなかった。彼女はすぐにパワーグラブを拾い上げた。装置のロック機構が、彼女の腕に食い込む。だがヴァイはその激しい痛みに耐えながら瓦礫を吹き飛ばし、鉱夫たちが通れるだけの抜け穴を掘り抜き、彼らを救い出した。
次の日、ヴァイはファクトリーウッド・フィーンズを訪れた。昨日と同じパワーグラブが装着されたままの拳で一味を完膚なきまでに叩き潰したこの件は、今でもレーンズで語り草となっている。
ピルトーヴァーとゾウンの間の緊張が高まった騒乱の時期、ヴァイは忽然とゾウンから姿を消した。ギャングの間では、地下都市の中心部で発生した大爆発で命を落としたのだという噂がまことしやかに囁かれた。あるいは、仲間を裏切り、遠くの国へと旅立ったのだと言う者もいた。ようやく真実が明らかになったのは、連続殺人事件を引き起こし、その魔の手を上部都市にまで伸ばしていた凶悪なギャング、「腹ぺこ爺のスカーズ」が、ピルトーヴァーの保安官とその新しい相棒の手によって潰されたときだ──その「相棒」こそが、他ならぬヴァイだった。
かつてゾウンを荒らし回ったギャングのボスは、今や法の番人となっていた。ケミ燃料式だった削岩パワーグラブも、ヘクステック式アトラスのプロトタイプに変わっていた。
ヴァイがケイトリンと手を組むようになった理由や経緯を知る者はいない。しかし、現在ピルトーヴァーにおいて横行している犯罪に関わっている、とある人物──ゾウンからやってきた青髪の凶悪犯罪者に何か関係があるのではないかという憶測が、人々の間では流れている…
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「供述調書 第101号」
ヴァイはあくびを噛み殺しながら、ピルトーヴァー警察署の中央にある金ピカのホールを歩いていた。夜明けからまだ一時間も経っていない。辺りは静かだった。留置場には酔っ払いが数人眠っていたが、奥にあるもっと厳重な独房には、拡張ケミパーツで強化されている凶悪犯も二、三人いるらしい。彼らがピルトーヴァーで何を企んでいたのか後で尋問しようと、ヴァイは考えていた。
きつい夜勤のおかげで固まった筋肉をほぐそうと、彼女は肩を回した。長いシフトの間ずっとパワーグラブを装着していたため、その圧力で前腕がズキズキと痛んだ。さっさと家に帰ってグラブを外し、氷水で拳を冷やしたかった。ついでに何かキツめの酒を数杯あおって少し眠りたい。だが、エアシューターを通じてケイトリンからどっさり届いた指示書には、警察署へ急行せよという命令が、お世辞にも丁寧とは言えない言葉で綴ってあった。ヴァイは片眉を吊り上げて指示書を放り投げると一時間置いてから、ケイトリンの招集に応じるため、裁縫師地区の狭い自宅を後にしたのだった。
「よぉ、ハークノー」留置場に着くなり、ヴァイは入り口の監視官に声をかけた。「ケイトリンの急用ってのは、一体なんだ?あとちょっとでイイ感じにイケるってところで、夢から叩き起こしやがってよ――」
「ああ、その辺で止めとけ」ハークノーは昨晩収監された囚人のリストに指をなぞらせ、そこから目を離すことなく言った。「お前の、どピンクな妄想に付き合う気分じゃないんでね」
「またまた」ヴァイがニヤリと笑う。デスクに寄りかかり、目にかかったピンクの髪をふっと吹き上げた。「まあ聞きなって。それがなかなかよく出来た筋書きでさぁ」
「遠慮しておく」ハークノーはそっぽを向きながら、事件簿を突き出してきた。「昨晩、ケイトリンとモハンがヘクステックの窃盗犯を連行してきた。今のところ一言も口を利いていないが、お前なら口を割らせられるんじゃないかってのが、ケイトリンの見解だ」
ヴァイは片眉を上げながら、書類に目を通す。
「デヴァキだって?まったく、変わらないね、あいつも」目玉をぐるりと回しながら、金属の指を握って拳を作った。「ああ、デヴァキとあたしは昔からの知り合いだよ。ちょっと話してくる」
するとハークノーは首を振って、こう念を押した。「いいか、ヴァイ、また医者を呼ぶ羽目になるのはご免だぞ。ケイトリンは、こいつを話のできる状態で検察に引き渡したいんだとよ」
「で、そのケイトリンはどこに?」とヴァイ。「挨拶もなしってわけかい?」
「埠頭で手がかりを追ってるよ」とハークノー。「お前なら一人でやれるだろうってさ。それとも、そいつは見込み違いか?」
「いいや」そう言うとヴァイは踵を返し、気取った足取りで独房へ向かった。「どこの房だい?」
「6号だ。いいな、話ができる状態だぞ!」
「はいはい…」ヴァイは頷いた。
彼女は6号房へ近づくと閂を外した。通常なら監視官がもう一人、扉の前で待機することになっているのだが、ヴァイには万が一のバックアップなど必要などなかった。デヴァキは古い知り合いだ。不首尾に終わったファクトリーウッド・フィーンズとのヤマ以前にも、何度か一緒に仕事をしたことがあった。デヴァキは窃盗が専門で、荒事が得意なタイプではない。ひょろりとした彼ごときを抑えるのに手助けがいるようなら、今の仕事もそろそろ潮時ってことだ。
デヴァキは、署の連中がベッドと呼ぶ、ところどころ欠けた石の台の端っこで壁に背中をつけ、膝を胸のところまで折り曲げて座っていた。身体の側に抱えるようにしている片腕に手はなく、先端の丸みに包帯が巻かれていた。独房に入った彼女を見上げた彼は、驚きで目を見開いた。
「ヴァイ?」
「ピルトーヴァー警察であります」軽く膝を曲げた彼女のお辞儀は、そんな状況にもかかわらず、デヴァキを微笑ませた。「で、その手はどうしたってんだ?」
「お前の仲間のクソ保安官サマが吹き飛ばしやがったのさ」彼は言った。「お前の腕こそどうしたんだ?」
「アップグレードしたのさ」腕のヘクステック式パワーグラブを持ち上げて答えると、ヴァイは低く唸るような音を立てるそれをぐるりと回し、その力強さをデヴァキに披露した。「思い通りにカスタマイズできて、威力も調整可能。こいつならパンチで壁に穴を開けるのもワケないってね」
「違いねえ。黄道の大金庫での一件は聞いてるぜ」デヴァキは気安く笑った。まるで昔の、レーンズにいた頃のヴァイと話しているかのように。目の前に立つヴァイがそのヴァイとは別人であることを悟れるほど、彼は賢くはなかった。
デヴァキは先が切り株のようになってしまった腕を上げた。「俺もアップグレードしねぇとな。あれはブロンツィオ製のハイエンド義腕だったんだぜ。あの女、なにも吹き飛ばさなくてもよかったのによ」
「請求書にはあいつの名前を書いときな」ヴァイは二歩で距離を詰め、デヴァキの襟を掴んで持ち上げた。そのまま彼を反対側の壁に投げつける。石膏の埃がむわっと舞った。
デヴァキは床に滑り落ち、呆気にとられてぜいぜいと喘いだ。「いいお巡りさんを演じてた連中が、今度はお前を送り込んできたのはどういうこった?」
「お上品にやってちゃ埒が明かないってんで、あたしが呼ばれてきたんだよ。カップケーキちゃん」そう言い放ち、ヴァイはパワーグラブにエネルギーを溜めた。「こいつでアンタを小一時間小突き回してもあたしゃ一向に構わないんだぜ?それが嫌なら、さっさとゲロっちまいな」
「ちょ、ま、ま、待てよ!ヴァイ、何する気だ?」デヴァキはしどろもどろになり、残っている手を前に突き出しながら後ずさりした。
「アンタを取り調べてんのさ。それ以外の何に見える?」
「まだ何も訊いてねぇじゃねえか!」
ヴァイは小首を傾けた。「なんだい、訊いて欲しいのかい」
彼女はデヴァキを掴んで立たせると、パワーグラブで肩をぎゅっと抑えつけた。
「で、その盗んだヘクステックは誰が買うことになってんだ?」
デヴァキは痛みで顔を顰めたが、答えない。
「おやおや、頑張るじゃねえか」ヴァイは痣のついた彼の肩を離す。「じゃあ、あたしが拳を引っ込めなかったらその顔がどうなっちまうか、知りたいんだな?」
「止めろ!」デヴァキは叫んだ。
「なら、話しな」
「できない」
まるでもう一度殴るどうか思案しているかのように、ヴァイは指で自分の顎の先を軽く叩いた。そして見せた笑みに、デヴァキは彼女の拳よりも不安を覚えた。
「仕方ない。ここ数年、アンタが悪いお友達みんなのことをタレこんでいたって、レーンズの連中に教えてやるか」
「な、なんだって?」痛みと怒りでデヴァキの舌がもつれる。「そんなのウソっぱちじゃねえか!」
「そりゃあウソに決まってるさ」ヴァイは言った。「でもあたしには、下層街におしゃべりなダチがたくさんいるからね。アンタはサツの回し者だってうっかり口を滑らせたら、真に受ける奴も大勢いるはずさ」
「そんなことされたら、俺は明日にゃ死んでる」デヴァキは抗議した。
「分かってんじゃないか。じゃ、さっさとあたしが知りたいことを話しな。そしたら、アンタは必死に抵抗したって噂を流しといてやろうじゃないか。何なら目の周りに青痣作って、しこたま殴られたって感じにしてやってもいいぜ」
デヴァキの肩ががっくりと落ちる。もはや逆らうことはできないと悟ったようだった。
「分かった、お前が知りたいことを話そう」
「それでいい」ヴァイは言った。「あんたが話の分かる奴でよかったぜ」
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