ルル部ノート

LOLに登場するルルを愛して止まないルル部のブログです。

ビクターのバイオ・ストーリー(2021.11)

機械文明の先触れ
テクノロジーの新時代の先触れたるビクターは、その人生を人類の発展のために捧げている。人々を啓蒙し、新たな地平へ引き上げようとする理想主義者であり、人類の可能性を最大限に発揮できる唯一の方法は、テクノロジーによる輝かしい進化を受け入れることであると信じている。鋼鉄と科学によって自らの身体を拡張したビクターは、人類の栄光に満ちた未来の実現に向けて熱心に活動を続けているのだ。

ビクターはゾウンの「中層階」の境で生まれ、職人である両親に触発されて発明と創造への情熱を見出した。目を覚ましている時間の全てを使って研究に没頭する彼は、たとえ食事や睡眠のためであろうと、作業を中断することを嫌った。近所での化学薬品の漏洩や爆発事故、ケミスモッグの接近などによりしょっちゅう引っ越ししなければならないことは、さらに腹立たしかった。ほんの短時間であっても、研究の手を止めることは彼にとって許しがたいことだったのだ。

自分を取り巻く世界に秩序と安定をもたらそうと、ビクターはゾウンの数多くの事故について調査した。そして、そのほとんどが機器の故障ではなく、人為ミスが原因であることを突き止めた。彼は労働環境を飛躍的に安全にするためのソリューションを開発すると、それを数ある地元の企業に提案した。ほとんどは目もくれなかったが、一企業だけ、フレダーセン・ケミテック鍛冶工場はこの誠実な若者にチャンスを与えた。

自動制御システムにビクターの発明を組み込んでから一ヶ月以内に、その工場の事故の発生件数はゼロになった。すぐさま他の事業者達も彼の発明を求めるようになり、ビクターの設計による、作業行程から人為ミスを排除する発明の数々は、ゾウン中で広く使用されて生産性を向上させていった。彼にとっても驚きだったが、19歳になった時、ゾウンの名門テクマトロジーアカデミーから入学を打診された。だがビクターの発明に目を付けたピルトーヴァーのスタンウィック教授は、ゾウンを離れピルトーヴァーのアカデミーに入るようビクターを説得した。そこでは最新鋭の研究施設を使用でき、「進歩の都市」が提供するあらゆるリソースにアクセスすることが可能なのだ、と。白羽の矢を立てられたことに興奮したビクターは、教授の勧めを受け入れてピルトーヴァーに移り住むと、発明品に改良を加えながら、あらゆる人間の役に立てるように自身の理論をより完全なものにしようと励んだ。

ビクターはピルトーヴァー最高峰の頭脳の持ち主達に混ざって学問に勤しんだが、その中にジェイスという名の自惚れた天才がいた。二人の知性は同等に優れていたが、ビクターがより整然、論理的、完全であろうとする一方、ジェイスは派手やかで尊大だった。二人は頻繁に協働したが、真に友情を結ぶことはなかった。「論理」と「直観」という対立する視点を持つ二人は発明のプロセスにおいてしょっちゅうぶつかり合ったが、互いを不完全な天才と認め合う中で、相互に尊敬の念を抱くようにはなっていった。

ピルトーヴァーでの研究の最中に、ゾウンで複数の区画が完全に壊滅するような大規模ケミ漏洩が発生し、ビクターは救援のため故郷に戻った。彼は既存の自動人形技術に高度な学習機能を組み込むことで改良型ゴーレム「ブリッツ」を造り上げ、救助活動を行わせた。ブリッツは何十人もの生命を救い、またビクターの予想を大きく上回る程に発達した知性を獲得したようだった。

ケミ漏洩への対処が完了した後も、ビクターは漏れ出した有毒物質に苦しむ人々を助けるため、ゾウンに留まった。ゴーレムと力を合わせ、テクマトロジーの技術を活かして、ケミ漏洩で体を蝕まれた人々を救おうと試みたのだ。毒に侵された人々の死を食い止めるため彼らは奮闘したものの、結局は失敗に終わり、その後二人はそれぞれの道を進むことになった。ビクターは、ゾウンの人々の命が失われたことで消沈したものの、一連の努力から多くを学んでいた――人体の組織とテクノロジーを融合させることについて、そして人間の肉体をテクノロジーによってどれだけ強化できるかについて。

数週間後、ピルトーヴァーに戻ったビクターは、スタンウィック教授がブリッツに関するシンポジウムを開催し、ビクターの研究を自分のものとして発表したことを知った。ビクターは大学上層部に対して異議申し立てを行ったが、ブリッツを設計したのは自分だ、という彼の主張を信じる者はいなかった。ビクターは自身の正当性を裏付ける証言をジェイスに求めたが、ジェイスは協力を断ったため、二人の間の溝はさらに広がった。結局、スタンウィック教授の不正が暴かれることはなかった。

苦々しい思いだったが、ビクターは諦めて研究に戻った。人々の生活を向上させ人類を高みに導く、という最終目的の重要性に比べれば、プロジェクトが一つ盗まれ自尊心が傷ついたことなど大した問題ではないのだ。彼は以前にも増して研究に没頭し、自分の発明から人為エラーと人間の弱さが影響しうる要素を排除する新たな方法を次々と発見していった。彼の研究のある一面でしかなかったはずのそれは、いつしか彼の思考の中心を占めるようになっていた。あらゆるプロセスにおいて、人間が関わる部分は全て、ひどく非効率な脱線である――それは、大多数の学生や教授にとっては到底容認できない価値観だった。彼らにとっては、ビクターが除去しようとしている部分こそ、人間の発想や創造性の根源だと思えたからである。

ピルトーヴァーの波止場の海底に沈殿する残骸や、残留化学廃棄物を除去するために使われるダイビングスーツを改良するという、ジェイスと不承不承組んでいたプロジェクトにおいて、ビクターの価値観の乖離は決定的に浮き彫りとなった。ビクターとジェイスが改良したスーツの着用者は、より深く潜水し、より長時間水中に留まり、より重いものを持ち上げることができた。だが多くの着用者が、海底で人魂を目撃したり、ケミ誘発性の幻覚を見たと主張した。それらの症状が現れたダイバーたちはパニックに陥り、結果として自身や仲間のダイバーの死を招くことも少なくなかった。ビクターはそれが技術的な問題によるものではなく、真っ暗な深海が着用者の神経を狂わせるせいだと考え、特殊なヘルメットを考案した。水上のオペレーターが、そのヘルメットを着用したダイバーの恐怖反応を麻痺させ、適切に「操作」できるよう設計されたものだ。ビクターとジェイスは自由意志と精神支配に関して激論を交わした。それは暴力沙汰寸前まで熱し、結果的に喧嘩別れした二人は、互いに二度と手を組むことはもう決してないと誓った。

ジェイスはその出来事を大学上層部に報告し、ビクターは基本的人権をないがしろにしているとして非難を浴びた――ビクターにとっては、多くの人命を救えるはずの発明だったにも関わらず、だ。放校処分となったビクターは、ピルトーヴァーの住民の視野の狭さに幻滅して、ゾウンの昔懐かしい自分の研究室に引きこもった。地の底でただ独りのビクターは、酷い心の苦しみに悩まされ、何週間も自問自答を繰り返した。そして直面した倫理的ジレンマと格闘した彼は、自分はまたしても人間の感情と弱さに邪魔をされたのだという結論に至った。自分は人々がミスを犯さないよう、命を落とさないようにと、人間が生来の限界を超越できるようにするため努力し続けてきたというのに。そして、ビクターは気付いた――彼自身もまた、人間の感情に支配されていたことに。正しい意志をもって行えば、いつか根強い偏見も乗り越えられる――感情のせいで、そんな何の根拠もない想いを募らせて、人間の根本的欠陥から長年目を逸らしてきてしまったのだ。人々を導くには、自分が先頭を行かなければ――ビクターは秘密裏に自身に手術を施し、自らの肉体や精神のうち感情に依存する部分、また逆に、感情によって抑制される部分を取り除いた。

手術が完了した時、かつてピルトーヴァーへと旅立った若者の面影はほとんど残っていなかった。彼は肉体の大部分を機械による身体拡張ですげ変えたが、その人格もまた変化していた。より良い社会への理想主義的な願いは、彼が「グロリアス・エヴォリューション」――“輝かしい進化”――と呼ぶ妄執へと変質していた。今やビクターは、自分こそヴァロランの未来、人が肉の体を棄てて、より優れたヘクステックの身体拡張に置き換えることができる、理想化された夢の世界への先導者だと考えるようになった。その世界で、人類は致命的な誤りや苦しみから救われるのだ、と。だがビクターには、この仕事が一朝一夕で成し遂げられるような、容易なものではないことも分かっていた。

ビクターは一心不乱にこの大仕事に打ち込んだ。テクノロジーによる身体拡張を用いて、事故で負傷したゾウン人たちを改造したり、呼吸機能を完璧なものにしたりと、身体と感情とを非干渉化させ、人間の非効率性を削減するため疲れを知らずに働き続けた。彼の仕事は何百人もの命を救ったものの、時に予想外の結果をもたらすことから、ビクターに助けを求めるのはまさに命懸けだった。

とはいえ、絶望の淵にいる者たちには、ビクターを訪ねるほかなかったのだ。

ゾウンの住民の中には、ビクターの哲学の一端を耳にし、その研究の成果を目にした結果、彼をある種の救世主として崇めるようになった者もいた。だがビクターにとって、彼らの似非宗教カルトはある種の倒錯であり、感情的欠陥や実在しないものへの盲信を除去するべき理由の一つに過ぎなかった。

最下層で発生したある有毒物質汚染災害の後、ファクトリーウッドの何百人という男女が神経に異常をきたし暴徒化した。ビクターは暴徒となった人々を鎮め、研究室に連れ帰って治療を行うために、強力な睡眠薬を使わなければならなくなった。患者たちの脳は有毒物質に侵食されていたが、ビクターは患者の頭蓋を切開して機械装置と接続し、血流から毒素をゆっくりと濾過することによって、その侵食プロセスを遅らせることができた。だが彼のテクノロジーは特効薬とはなり得ず、排毒用の装置を飛躍的に改良できなければ、いずれ多くの人々が死ぬことは確実だった。

人々を救うために奮闘していたある日、ビクターはピルトーヴァーから発生するヘクステックエネルギーの奔流を感知し、これこそ自分が必要としているエネルギーの源になり得るものだと瞬時に理解した。彼は強力なエネルギー波の出所を追い求めて進んだ。

そこは、ジェイスのラボだった。

ビクターはそのエネルギーの源――シュリーマ砂漠で発見された脈動するクリスタルを渡すよう、ジェイスに要求した。だがかつての同僚はそれを断り、ビクターは力づくで奪うほかなくなった。ゾウンに戻ったビクターは、その奇妙なクリスタルを濾過装置に組み込み、さらに患者の肉体が治療のプロセスに耐え切れなかった場合に備え、代わりの体にするためのスチームゴーレムを人数分用意した。新たなクリスタルからエネルギーを与えられたビクターの機械が作動を開始し、有毒物質による損傷が徐々に快復し始めた。彼の働きによってこれらの人々は救われるのだ――もしビクターにもう少し人間性が残っていたなら、きっと喝采の声を上げていただろう。ほんのわずかな微笑の気配、ビクターが自分自身に許したのはそれだけだった。

だが治療のプロセスが完了する前に、復讐に燃えるジェイスが乱入し、エネルギーを充填したハンマーで研究所を破壊し始めた。ジェイスのような傲慢なバカ者は、何を言っても聞きはしないとわかっていたビクターは、自動人形たちにジェイスを殺せと命令した。凄まじい戦いの末、ジェイスはビクターが奪ったクリスタルを叩き割り、その結果起こったエネルギーの大爆発により建物全体が崩落した。大量の鋼と石材が降り注ぎ、ビクターが救おうとした患者たちを永遠に消し去った。この行動により、ピルトーヴァーに戻ったジェイスは英雄と称えられた。

ビクターは崩壊する研究所から脱出し、破滅的な感情の衝動を除去することによって人類をより良い存在にする、という使命に立ち戻った。ビクターにとってジェイスの衝動的な襲撃は、自分の使命の正しさを改めて証明し、欠陥だらけの肉の体から人類を解放したいという願いをさらに強くさせただけだった。それから程なく、ビクターは身体拡張した殺し屋たちをジェイスの研究所に差し向けた。ビクターは自分に言い聞かせた――これは復讐のためではない。人類の発展のために利用できる、シュリーマのクリスタルのかけらがまだ残っていないかを調べるためなのだ。だが襲撃は失敗に終わり、ビクターはジェイスに関して考えるのを止めた。

代わりに彼は、人類の感情的弱点を克服し、理性に満ちた新たなる進化の段階へと導くための方法を、一層熱心に探し始めた。その研究は時に、ピルトーヴァー(そしてゾウン)では倫理に反するとみなされる領域に足を踏み入れることもあるが、それはすべて、ビクターのグロリアス・エヴォリューションを達成するために必要な一歩なのだ。

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エンバーフリット横町の家
BY RAYLA HEIDE
ビクターの第三の腕が細い光条を放ち、揺るぎない精確さで彼の左腕に金属を溶接していく。肉の焼ける臭いも、切り開かれた左手首の血管や筋肉や腱が機械と接続され、拡張されていく光景も、もはや彼の平静を乱すことは一切なかった。うめき声一つ上げることすらない。むしろ、人工物と有機的素材が継ぎ目なく繋がっていく様を凝視しながら、彼は達成感を覚えていた。

子供たちの叫び声に、ビクターは一瞬動きを止めた。靄に包まれたこのエンバーフリット横町の界隈にまで、危険を承知で下りてくる者は滅多にいなかった。それがビクターがこの場所を選んだ理由だった――彼は邪魔の入らない場所を好んでいたのだ。

左腕が動かないよう保持したまま、ビクターは虹彩鏡の銀のダイヤルを調整した。この器具にはいくつもの鏡面加工レンズが組み込まれており、光の屈折を利用して研究所の外の通りの全景を見ることができた。

何人かの子供たちが痩せっぽちの少年を、研究所の鋳鉄製の門の方へ乱暴に突き飛ばしていた。

「ナフ、一分ももたないんじゃないかな」両目の上に模造宝石を埋め込んだ少女が言った。

「きっと真鍮製の頭になって戻ってくるさ」赤いモジャモジャ髪の少年が言った。「灰色の靄みたくモヤっとした脳ミソも、ちょっとはマシになるんじゃないの」

「金目の物を見つけて戻って来い、さもなきゃオレ様たちがお前の頭をすげ替えてやるからな」一番大きな体をした少年が、痩せて背の低い少年の襟首をつかみ、無理やり前に歩かせながら言った。他の子供たちは、それを遠巻きに見ている。

そびえ立つ門の前まで来た少年がガタガタ震えながら押すと、門は甲高い金属音を上げて開いた。そのまま組み合わされた歯車で飾られた正面扉を通り過ぎ、開いた窓によじ登る。少年が床に落ちた瞬間、アラームが鳴り響いた。

ビクターはため息をつき、警報を止めるスイッチを押した。

痩せた少年は屋内を見回した。壁にずらりと並んだガラス瓶には緑色の液体が満たされ、有機物と金属の臓器が浮いている。部屋の真ん中には血の染みだらけの革のストレッチャーが鎮座し、その上には機械のドリルが設えられている。何十体もの自動人形がピクリともせずに、それぞれ四方の壁を背に立っている。ビクターにとって研究所は最も創造的かつ重要な実験を行うための聖域であるが、子供にとっては恐ろしい場所に見えるだろう、そう彼は想像した。

作業台に着き、テーブルの上で腕を切開しているビクターを見て、少年は驚きに目を見開き、近くの荷箱の陰に隠れて縮こまった。

「君がその箱から学べることは何もないぞ、少年」ビクターは言った。「だが、その箱の上には骨ノミがある。取ってくれ」

震える手が荷箱の上に伸び、錆びた金属製の道具の柄を掴む。床の上を滑って自分の方に来た骨ノミを、ビクターは拾いあげる。

「すまんな」ビクターは手術道具をぬぐうと、再び腕の手術を続けた。

ビクターの耳に、少年の荒い呼吸が聞こえた。

「ねじれた屈筋腱を交換しているところだ――つまり、手首の故障した機械部品をだ」ビクターはそう言って、ネジの締まりを調整しようと腕に手を伸ばした。「見たいか?」

少年は荷箱の陰から首を伸ばした。

「それ、痛くないの?」

「痛くない」ビクターは答えた。「苦痛に対する不安と恐怖を克服した者にとっては、十分耐えられるものだ」

「そ、そうなんだ」

「さらに言えば、私の腕はほぼ完全に機械化しているからな。自分で見てみたまえ」

少年は荷箱の陰から出てきて、ビクターの対面に座った。一言も発せず、ビクターの腕に目を釘付けにしたまま。

ビクターは新しいボルトドライブを皮膚の下の腱に接合する作業を再開した。それが完了すると、観音開きになっていた腕の真皮を元通り縫合する。それから光のビームで縫合部をなぞり、肉を焼灼して切開部を融着した。

「なんでそんなことするの?」少年は尋ねた。「腕が“うまく”動かなくなったから?」

「人間の最大の弱点を知っているか?」

「…ううん」少年は答えた。

「人間は現状を維持することを良しとして、無限の可能性というものを無視しがちだ」

少年はきょとんとした目でビクターを見た。

「人は変わることを恐れる」ビクターは言った。「“うまく”で満足してしまうのだ。“至高”を目指せるにも関わらず」

ビクターはコンロの方へ向かった。鍋に黒い粉とダンポアクリームを入れて混ぜた後、レーザーでその液体を加熱する。

「スイートミルクはいかがかね」ビクターは言った。「私の弱点の一つではあるが、アニスのフレーバーには目がなくてな」

「あの…ぼくの頭を切り落として、金属の頭と交換したりしないの?」

「ああ。私がそういうことをするという噂が広まっているのか?」ビクターは尋ねた。

「うん、まあ」少年は言った。「ただ咳をしただけで、頭を交換された子供がいるって聞いた」

「その情報は、本人から直接聞いたのか?」

「ううん、隣のバーマのいとこが言ってたって。あれ、おじさんだったかな?ともかくそう言ってた」

「ああ。そういうことか」

「でも、咳って頭を交換したら止まるものなの?」少年は聞いた。

「それはいい質問だ」ビクターは言った。「頭部の交換によって咳の症状が改善するとは考えにくい。咳は肺から生じるものだ、そうだろう。そして先ほどの君の質問に対する答えだが、君の頭を切断して、金属の頭と交換するつもりはない。もちろん、君が望むのなら話は別だが」

「いやです」少年は言った。

ビクターは濃厚な液体を二つのマグカップに注ぎ、その温かい飲み物を熱い視線で見つめていた少年に、片方を渡した。

「薬品は入ってない」そう言って、ビクターは自分のマグカップから一口すすった。少年はスイートミルクをゴクゴクと飲んだ。

「他の子たち、まだ外で見てる?」汚れた歯の少年は言った。

ビクターは虹彩鏡をのぞき込んだ。三人の子供は、まだ正門の前で待っていた。

「そのようだ。彼らを少々驚かせてみるのはどうだ?」ビクターは言った。

少年は目を輝かせ、うなずいた。

ビクターは少年に音声増幅器を手渡した。「これに向かって、ありったけの声で悲鳴を上げるんだ」

少年は増幅器に向かい、芝居がかった、血も凍るような悲鳴を上げた。それはエンバーフリット横町全体に響き渡り、表の子供たちは恐怖に飛び上がると、散り散りに走って身を隠した。少年はビクターに微笑んだ。

「多くの場合、恐怖は不利に働く感情だ」ビクターは言った。「例えばだ、君が怖いと思うものはなんだ?」

「ケミ長者」

「ケミ長者が恐れられているのは、彼らが支配者然とした雰囲気を漂わせ、またよく暴力を匂わせて脅しをかけるためだ。もし誰もケミ長者を恐れないなら、人々は彼らに対して立ち上がるだろう。そうなった場合、彼らはどうすると思う?」

「えぇと…」

「逃げるのさ。それしかできない。ケミ長者の数と、ゾウンの人々の数を比べてみればいい。恐怖は少数の有力者によって、弱者を支配するための道具として使われている――彼らは恐怖がどう働くかを理解しているからだ。相手の感情を操れるというのは、即ち相手を支配できるということなのだ」

「確かにそうかも。それでもやっぱり、ぼくはあいつらが怖いよ」少年は言った。

「当然だ。恐怖のパターンが君の肉体に深く刻まれているからだ。だが鋼鉄には、そんな弱点はない」

ビクターは小瓶を取り出した。ミルク状の液体の中で、微小な銀の粒々が浮かび、たゆたっている。

「その点については、私が力になれるかもしれない」ビクターは言った。「私は恐怖を完全に除去できる身体拡張の開発に成功していてね。君にその気があるのなら、ほんの短時間だけ試してみてもいい」

「短時間って、どのくらい?」

インプラントは20分で分解される」

「ずっとそのままなんてこと、絶対ない?」

「そうすることも可能だが、これは違う。君が恐怖を無くせば、外にいる君の友人たちはもう、君に何もできなくなるだろう。恐怖こそ、いじめっ子の養分なのだ。養分がなくなれば、やせ細るだけだ」

温かい飲み物の入ったマグをぎゅっと持ったまま、少年は考え込み、やがてビクターにうなずいた。ビクターは細い針を小瓶に差し込むと銀の粒を一つ取り、少年の耳の後ろの皮膚に埋め込んだ。

少年はしばし震え、それから微笑んだ。

「自分の弱点が消え去ったと感じるか?」ビクターは尋ねた。

「うん」少年は答えた。

ビクターは少年を玄関まで送り、ダイヤルをひねって開錠すると、手を振って見送った。

「もし、より長時間の効果が欲しくなったなら、いつでも訪ねて来るといい」

研究所から出た少年の周囲に一陣の霧がまとわりつき、不気味な影を作り出す。ビクターは作業台に戻ると、虹彩鏡をのぞき込んで実験の観察を始めた。

エンバーフリット横町に人影はなかったが、少年が研究所を出るや否や、連れの子供たちが姿を現した。

「オレたちへの土産はどこだよ?」赤毛の少年が聞いた。

「ナフのやつ、どうやら約束を守らなかったみたいね」少女が言った。

「それなら罰を与えてやらないとな」大きな少年が付け加えた。「それに、新しい頭をくれてやるって約束してたっけな」

「ぼくにさわるな」精一杯背をそびやかして、ナフは言った。

いじめっ子はナフの首元に手を伸ばしたが、ナフはその顔面に拳を叩き込んだ。

いじめっ子の鼻から血が流れる。

「押さえつけろ!」いじめっ子が叫んだ。

しかし周りの仲間たちは、もう少年を押さえつけようという気にならなかった。

ナフはいじめっ子たちに向かって足を踏み出した。いじめっ子たちは思わず後ずさりした。

「ぼくに近づくな」少年は言った。

いじめっ子たちは顔を見合わせると、きびすを返して逃げ出した。

ビクターは虹彩鏡を閉じると、元の作業に戻った。新たに修理した手をぐっと開くと、満足気にその指で机をリズミカルに叩いて鳴らした。